飽きとその理由

あまり書くつもりはなかったのだけれど、とある文章を読んで書きたくなったので書くことにする。

ひたすらにとあるソフトウェアの更新箇所を邦訳し続けた時期があった。で、突然それを止めて、飽きたの一言で片付けた。そんなことがあった。今回書くのはこの時考えていたこと。

始めに書いておく。言い訳だと思うならそう思って構わない。信じなくても良い。

僕が立て続けに更新箇所を邦訳し続けたのには理由がある。もっと言ってしまえば、狙いがあった。きっかけになった動機は次の2つに集約される。

  1. とある人が邦訳文として公開していたものの品質があまりに低かった
  2. 一カ所に情報が集積していることの意義をちょっと体感して欲しかった

このソフトに関する日本語情報はあまりに散在している。だからこそ一カ所に集積している状態を体感して欲しかった。こういったコンテンツを公開したがるような人はきっとベータ版を追い続けているだろうから、ベータ版の邦訳でそれを体感してもらおう。幸か不幸か、今公開されている邦訳の品質は耐え難い程度に低いし。……と、そんなようなところだろうか。

体感してもらいたかった動機は実に単純。どんなに良いことだって、便利なことだって、一度味合わないとなかなか理解できないものだから。タブレットPCやiPhoneはそんな声をよく聴く代物だと思う。情報が集積していることや情報を信頼できるということは、それと同じ。

僕は初めから邦訳しつづける気はなかった。それは不可能だし、そもそも本当に邦訳し続けるつもりならここに書かない。僕にとってここは日記、備忘録であって、それ以上ではない。とはいえこれらの訳文を読みたがっている人の何人かがここを読んでいることも知っていた。だからここで良かったのだ。最初からある特定の場所に信頼度の高い情報が集積している状態体感してもらえれば良かったのだ。

うさんくさい文面を書き続けても結局原典を当たることになり、利点を感じられない。そんなわけもあり、この時の文章は相当気を使って訳している。その当時幸か不幸か著者に近い側にいた僕は、ちょっぴりチートも使いながら訳してた。でもそれは信頼度の高い情報を維持するために必要だった。一度あそこの文章を訳そうと試みた人なら分かるだろうが、明確な意味をとれない文章が一つ二つは必ずある。だから、ソフトウェアを触れば分かる部分については文言を超える訳も是としていた。

まぁ、そんな訳を公開していたら中の人が訳す体制が整ったらしいなどとよく分からない勘違いされてしまったのだけれども。……これは予定外だった。勤務時間中には訳していなかったし、そもそも公式の空間ではなかったし。金銭的には……むしろ赤字になるんじゃないかな。自分の時間を使って訳した文言を結構仕事で使ってたから。閑話休題。

膨大な情報を個人で維持するのは正直いって難しい。余程強靱な精神力の持ち主は別かもしれないが、その人が止めた瞬間にピタリと維持されなくなる。それを避けるためには複数人でやりくりするしかないだろうと僕は思う。たとえばWikiとかを使って。複数人でやれば誤訳も減るし、一石二鳥ともいえるのだから。

邦訳の止め方は結構悩んだ。突然止めるか、ちょっとずつ遅らしていって止めるか。結局僕は、2007年の終わりと共に、止めた。

止めてからしばらくは邦訳が出てこない状態になるだろうけれど、いずれそれに気づいた人たちがどこかのWikiで寄ってたかって邦訳する流れにならないかな……なんて期待していたわけ。考えの甘いこと甘いこと。まぁこの時は結構まじめにそんなことを考えてた。

でも、この邦訳を止めたことで本家での更新も止まったと勘違いされてしまった。それはさすがにまずい。そんな訳もあり、公開することになったのが例のエントリー。こんな経緯だったから、まともな理由じゃあダメだった。で、飽きた、と書いた。こんなにも簡単に終わり得るんだよ、という意味を込めて。

結局どうなったかは、分かる人には分かるはずだから敢えて書かない。

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公開日時
2008年10月30日 午前4時27分49秒
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