ただの日記ですから
紙の最強さはすごい。乱文でメモするだけのTwitterと、記録としての手帳に生活がシフトしてからというもの、まとまった内容をWebに出力することがなくなってしまった。最近のWebは「よい人」「すごい人」振るのが流行らしく、旧態依然な乱雑な内容が跋扈するWeb日記を見かけなくなってつまらない。そういう内容はリアル井戸端会議の方が適当だったと気づいたのだろう。事実そうだと思うし。
ちょっとした処理が終わらないのでつらつら半年強の日記を眺めつつ一行日記を書き連ねてみる。たぶん、全然一行にならない。
- 3月初頭。初めてのスノーボード。二日間くらいこけまくり、数日間の尻の痛みと引き替えに、ゆっくりと回転し続けることができるようになった。体が覚えていれば、今シーズンはきっと両方向にターンできるはずだ。そういえば、スキー場の食事の品質が著しい向上を見せていた。客離れが進んでいるのか、いったスキー場がよかったのか。
- 3月末。やたらパケットのロスする焼き肉屋の食い放題。頼んだものが半分くらいしか届かないので、それを察して倍くらい注文するという謎のプロトコルが確立されたけれど、あの店は今も健在なんだろうか。
- 3月末。ふかふかマットレスを購入して自宅の睡眠環境が劇的な改善。マットレス(と枕)重要。半年経って実感してる。
- 4月中頃、アクセシビリティキャンプ東京の第1回。手前味噌ですが、そこそこまじめにTweetしてます。エラー表示を如何にしてアクセシブルにするかという議論に参加していた。表現方法、伝え方、といった部分にフォーカスが置かれていたような気がするけれど、それを明確にするためにはきっとエラーと判定した理由を機械可読にしなくちゃならない。この基準は人によって揺らぎがあってもおかしくない。少なくとも揺らぎを認めるべき。であるならきっと、こういった揺らぎはここに学習しつつ、何らかの定量的な値か何かでエラーと判定した理由を機械可読な形で伝えるのが最適解に近い実現方法なのかなぁなんてことを考えた。ちょっと違うけど、Eメールのスパムフィルタが閾値判定するのに似ているのかもしれない。
- 4月末、今年の結婚式ブーム最初の足音がしたのはこの時期。僕には縁がないお話。
- 5月初頭、東京西部を歩いてきた。秩父ってのはなかなか自然豊かなところで、下手なところよりよっぽど植生が豊か。植物を眺めるのが好きな人は一度足を運んで、町中を散歩してみればいいと思う。軒先に咲いている花とか、そういった細かな植生を見るだけでも楽しい。長瀞の川下りだとか芝桜だとか、名所の類にも足を伸ばしてみたけれど、正直街路を散策していたときの方が印象に残っているし、心休まった。
- 秩父からそのままOpera九州オフにハシゴの旅。新宮行きの夜行バスが台風で途中までしか動かないとか、なんかいろいろあった。元々は峠越えの散歩をするつもりだったのだけれど、如何せんバスが通行止めになる程度の豪雨なので断念。電車内で喜ぶ高校生と、学生を誘導する長靴履いた先生の絵は忘れない。新宮は森と岩と滝を祀っているのだ、とは浮島の森のガイドさんの弁。事実神倉神社は岩を祀っている。この手の話は聞いておいて損がない。
- 日本一運行距離の長い路線バスで大阪へ向かう。途中長い休憩があったりしてこの旅路は飽きない。途中下車して中辺路を散歩したり、道中の茶屋で温泉コーヒーなるまろやかなコーヒーを飲んだり、谷戸の吊り橋を渡ったり、炭酸泉(中津川温泉)を飲んだりと、路線バスに乗ってるだけなのに満足度が高い。西吉野にある福寿荘という宿にお世話になりましたが、アットホームな宿が好きな方にはおすすめ。朝食が豪華。五條やら二見城趾やらは割愛して久方ぶりの船旅で九州入り。
- 福岡北側で謎の自分録りしてる人を見つけて複雑な気分になるなどしながら海風を浴びてアマタさん大活躍のオフ会。パソコン通信以来のイベント参加とかいう人が居て度肝を抜かれた。こう、気持ちを忘れない人でありたい。
- 5月中旬、金環食。町中が三日月できれいだった。でも、それ以上に上を見上げる人と、その風景に対する違和感の方が頭に残ってる。如何に普段空を見上げないことか。
- 6月初頭、東京大阪同時オフ。結局中継しなかった気がする。この辺で一本ねじが外れた。どうせイベントに参加するなら遠くに行った方が観光できて楽しい、と。
- 6月中旬、外国人環境客を池袋に連れ出したところ中学生とおぼしきアイドルグループのライブに釘付けになるという珍事があった気もするが、最終的に周辺全てが黒歴史となったので詳細は書かないでおく。僕は詳細知らないし。
- 8月初頭、アクセシビリティキャンプ東京 第2回。Togetterにもまとめた通り、支援技術の紹介付き。アクセシビリティって、まじめに考えると関わる分野が広すぎるのでいろいろな専門家を呼ぶべきだと思ったのはこの回。僕はアクセシビリティとCI、といったテーマの議論に参加していた。アクセシビリティって、ある種インフラのようなものだと僕は思う。完全性が求められる。今の潮流は機械評価、効率化、全自動。多数派を満足させる巨人と、ごく一部を満足させる小さなものをたくさん。でも、アクセシビリティはそうではなく、包括的。ほかのものを使えばいいじゃないといったって、ほかのものとは何かという質問に答えられなきゃならないわけで。これを実現するには、省力化がまず間違いなく必要なんだけれども、どうやら制作の現場からしてみれば人力じゃないと云々というところに落ち着いてしまうらしい。あるいは、コンポーネントごとに担保しておいて組み合わせる、とか。前者は正直論外なんだけれども、今を強く感じる機会だった。現実解は後者にあるんだろうと思うのだけれど、これを以て広い範囲をカバーしようとすると上位のレイヤで情報を体系的に整理した上で、中間言語のような何かで蓄積する必要があるのかなぁなどと朧気に考えた。図書館情報学とか学問分野としては存在するけれど、使えたりするのだろうか、とか。
- 8月中旬、ざっくりいうと高校生の応援のために富山へ。一応20代ではあるものの、高校生は比較にならん若さなわけで、自分のおっさん化を強く感じた次第。帰りがけになぎさロードラインを疾走してみましたが、これは楽しいね。砂浜に標識が立っている風景は、見てるだけでおもしろい。
- 9月初旬、友人に連れられてJoyPoliceでやっていた初音ミクのミニライブとやらに行ったのだけれど、これは本当にわからない。ステージ演出とかそういう面で楽しんではいたのだけれど、絶対違う。ライブという娯楽の楽しみ方ってのが根本的に変化しているのか、あるいは僕がずれているのか。曲を知らないとか、合成音声が効果音に聞こえるとか、根本的に性に合わないのを横に置いておいたとしても理解を超越していて、なんというか新世界だった。
- 9月後半、ふと思い立ってF1へ。カーレースがいつまで行われるかもわからないし、どういう音が町に響くのか知っておきたくて。で、市街地コースである、シンガポール。適度に近いというのもあるけれど。結論からいうとはまった。F1おもしろい。言葉じゃないね。
- 10月初旬、福井・石川へ。桑田佳祐ライブのチケットを福井で確保したのがその理由。僕にとってのライブは、何が起こるか予測不可能であることが楽しみなんだよなぁと改めて感じつつ一瞬で終わる楽しいひととき。ライブ前には東尋坊やら丸岡城やら、ライブ後には剱神社や白山を巡るなど、めいっぱい観光してみた。その後一週間以上筋肉痛が続いてしまい、運動不足を痛感したのは恥ずかしい後日談。
- 10月12日。アクセシビリティキャンプ東京 第3回。今回はシーケンシャルに二つの話題を議論していたわけですが、不束者の私がアクセシブルなミーティングのあり方についてモデレータをさせていただきました。発散的な雑談に近くなってしまいましたが、次回機会があれば精進します。話題としてはミーティング(僕の心の中では飲み会)でしたが、実際の話は一般的なコミュニケーションの話になっていた気がします。人は、必要な情報を全てほしい。でも、必要な情報はその場で暗黙的に決定されるだけで、外からはわからない。話は全ての情報を集めてフィルタリングするといった方向に流れていったけれど、実は全然違う回があるのではないか、あってくれないか、なんてことを考えることがある。全ての情報を集められる時代は来るだろうし、能動的な設定によってフィルタリングしてくれる時代も来ると思う。でも、人は必要な情報が必要なだけ欲しいだけで、フィルタリングしたいわけではない。アクセシビリティというお題目からはずいぶん離れてしまうけれど、ここら辺はインタラクションデザインの世界の人が緩い情報を提供することで問題を小さくしてくれるのではないかなと期待していたりする。場の空気、近くの人との関心の近さ、まだ気づいていない情報の存在、それらと自分の置かれた状態との関連およびその度合い。そういったことが朧気にでも伝えられれば、遠回りではあると思うけれどその場に存在する壁を低くすることはできると思う。
ここ最近、ストレス解消方法が旅行になった感がある。財布のひもを締めないと、なぁ。引きこもってやりたいことはあるんだ、このページの大掃除とか。