やりたかったこと

気づくことは人の感じることが出来る楽しみの中ではかなり大きなものだと思う。少なくとも僕にとってかなり大きい。最大かもしれない。今の小学生はおもちゃで遊ぶとともに、たくさんの情報を得て楽しむらしい。好奇心を刺激されるのか、はたまた情報収集そのものに楽しみを得るのかは分からないが、その感覚には大いに同意できる。うらやましくもある。ウェブが既にあることは情報の偏りを生むかもしれない。けれど、それ以上の楽しみがあるに違いない。

僕がやりたかったこと、やろうとしていること。それは気づきを与える機会の拡大、情報を得る機会の拡大と云うことだったようだ。ようやく気づくことができた。簡単なことのはずなのに、むしろ気づけていなかったのが不思議だ。ちょっと遅かったのかもしれないけれど。

HTMLってすごい、そう感じたのも機会を拡大するからだ。文字列に意味づけすることでどうとでも変換できるところに感心していた。今の動向がかつてほど興味を惹かないのもそのあたりに理由があるのかもしれない。

さて、どうしたものか。今の環境は悪くない。僕に欠けている論理性やそのほか諸々を補完するには適当としか言いようのない環境だろうと思う。けれど、やりたいことがストレートに出来る環境ではない。巧く時間を使いこなせる人ならそれこそ机の下でいろいろ出来るのかもしれないけれど、不器用な僕がそれを身につけることが出来るだろうか。うまく自分の中で関連づけることが出来るだろうか。そろそろ一年目が終わる。二年目で道の入り口くらいは見つけたい。

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公開日時
2010年3月2日 午後11時36分12秒
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