突発的伊勢旅行

ふと神頼みしたくなりまして、行ってきました伊勢神宮。旅行で一番楽しいのは計画ですから、突発的であればあるほど面白い。

12日

で、いくつかの条件を満たすようにプランニング

伊勢情報や近鉄情報をもたらしてくれた皆々様に感謝。1泊4日の旅、決定。

13日

6時過ぎに下調べを終え、10時頃起床。もちろん朝だ。起きて直ぐに未明時点で残っていたムーンライトながらの空席を照会。そして確保。

荷物を積めていざ出発。みどりの窓口で指定券を受け取り、学割乗車券を買い、帰路の夜行バス予約状況を確認。一番安く、一番遅くに出発する新宿行きにまだ空席があるらしいのでついでに購入。

そしてながらに乗車。定期列車としての運転はそろそろ終わってしまうというのだから少々寂しくもある。乗車率は4割程度で、ほぼ全員が隣の空席も生かした快適な旅路だったのではなかろうか。

途中規制風速に達したとかで停車したり徐行したりの運転だったようだけれど、なんであれ定刻に到着するのは時間調整の多い夜行快速ながらだろうか。途中浜松で1時間近く停車するのを見て雨の影響だろうかなどと思った僕は言うまでもなくながら初体験の乗客であって、慣れた乗客は時間調整駅で途中下車して買い出しするのだと知ったのは後の話。停車中頭の中は車内照明が明るくて眠れないことに対する対策をずっと考えていた。

貨物列車の通過を告げるアナウンスを聞き飽きた頃、ながらは発車。直後、膝掛け代わりにしていたコートを頭からかければ世界を暗くできることにも気づき、試し、即就寝。

蛇足だが空気中の酸素濃度を下げると、生存のために副交感神経が活性化される。両手で鼻や口元を覆うだけでも多少の効果があるという人も居るくらいだから、コートを被ったことで酸素濃度の面からも入眠が促進された可能性がある。

浜松から2時間強の爆睡。気付いた時には周りに誰も乗客が居らず、職員が僕を見つめていた。頭からコートを被っていた僕は、世界と隔絶された空間を醸し出していたのかもしれない。きっと声をかけにくかったのだろう。ごめんなさい。眠つけなかったんです。

もっともまだ車両切り離し作業の途中だったから、時間には余裕があったのだと思う。僕も乗っていた車両が下車駅で切り離されることを知っていたからあまり起きることについては考えていなかったし。

14日

正確には列車が神奈川を脱した時点でとっくに日付は変わっているが、気分の上で日が変わったのは……コートを頭からはぎ取ったとき。

とりあえず飯を食わねばなるまいということで喫茶店探し。僕は朝からそんなに食べる口ではないし、そもそもここは名古屋。モーニング以外の選択肢はない。眠気醒めきらぬ頭はそんな結論にたどり着いたのだが、時刻は6時。空は白んでいるものの、日はまだ昇っていない。ロータリーの濡れ具合を見て幸運にも風雨は夜のうちに過ぎ去ったことを悟り、エスカの看板を見て喫茶店の開店は7時が相場であろうことを悟った。

早々にモーニングを諦め、駅弁屋へ。列車旅行の食事と言えば駅弁だ。みそカツ、海老フライ、天むす。脂、油、あぶら。ろくに目覚めていない状態であぶらものを選べるほど僕の胃は逞しくない。しかしおにぎりやいなり寿司、幕の内弁当といった定番を選ぶのも何となく癪だ。悩んだ挙げ句、ひつまぶし巻きなるものをチョイス。ご当地からずれているが、万一座れなかった場合でもこれなら食べやすそうだと、自分を納得させる。

横にコーンポタージュの文字が見え、ついで注文。しばし待つと、店員さんが困り顔で戻ってきた。どうやら十分温かいコーンポタージュが無かったらしい。が、気にしない。歩いていれば冷める。

ついでに店員さんへ近鉄の場所を訊ねる。が真逆のちょっと奥まったところにあると聞き、最初に向かった方角が誤りであったことを知る。まぁ名古屋に着いてから僕の視界に近鉄の文字は一度も入っていないのだから、間違うのも致し方無い。店員さんに伺った方向へ向かい始めると、程なくして近鉄の案内看板を発見。あとは迷わない。

目指すは宇治山田駅。しかし宇治山田行きは無し。券売機上の路線図を眺め、電光表示板に示される列車の行き先と照らしあわせる。よくわからない。とりあえずSuicaを自動改札にタッチ。しかしタッチアンドゴー失敗。渋々切符を購入。改札をくぐると同時に特急列車発車。次の優等列車と思しきものは20分後の急行。嫌な予感を抱きながら改札にいる駅員さんへ特急を使わずにもっとも早く到着する方法を訊ねると、案の定次の急行に乗り、終着駅で乗り換えるように言われる。

ひつまぶし巻きの写真うつらうつらしていると、列車は駅舎を出て青空の下へ。先ほど買ったひつまぶし巻きを開けると、抹茶の粉が出てきた。日本一抹茶産地西尾ってな日本一アピールに名古屋を感じる。ひつまぶしは、まずそのまま食し、お茶を注いでまた食したい。間違いなく抹茶はそのためのものだろう。だが、どうやって抹茶を作れと言うのか。百歩譲って細長く平面な紙の容器をお茶碗として活用できるようになるとしよう。だが、お湯をどこで調達すればよいのだろう。韓国の巻き寿司と同様切り込みが入っており食べやすかったし、美味しいウナギ巻だった。ただ電車内で食べることを想定した駅弁ではなかったというだけなのだけれど、少々残念な気持ちになってしまった。

日の光を浴びれば目も覚める。生理現象だ。晴天に感謝しつつ列車は一路南へ。途中駅での乗り換えも無事終え、最初の目的地である神宮に到着。何でも駅舎は有形文化財だそうで。駅で見つけた近鉄提供のハイキング地図を1部頂き出発。

まずは外宮こと豊受大神宮へ向かう。宇治山田駅周辺で見た鵜のような鳥の写真途中、川に首を突っ込み潜ってゆく水鳥を見たのだけれど、まさか鵜ではないよね。

迷いつつも適当に歩くこと十数分。外宮へ到着。豊受大神宮本宮の写真9時半と朝早いこともあってか人はまばら。犬の散歩はお断りである神域を十分に散策すること約1時間。

月夜見宮へ移動しつつ小腹を満たそうと伊勢市駅へ。参道の土産物屋が疎らで痛々しい。そんな駅周辺で適当な店を見つけられるはずもなく、そのまま月夜見宮を詣でることとなった。

次の目的地は内宮。時間は十分すぎるほどあるだろうから歩いて行くことに。しかしそれにはエネルギーが足りないということで、ひとまず食事処を探す。

伊勢で食べるものは出発前から決まっていた。それは、伊勢うどん。何なのか一切分からないのだがどうやら名物らしく、伊勢へ行くことを話したら何人かに伊勢うどんを食べてくるよう勧められたのだ。幸い耳に入ったのは名前だけで、どんな料理であるのかは全く持って分からないまま。きっとうどんなのだろうけれど。

伊勢うどんの文字は確かによく見かける。どうやら特定店舗で出される類のものではなく、ご当地料理の類らしい。悩む時間をもらえるほど僕のおなかは満たされていないようなので、外宮からほど近い「中むら」へ入店。

おなかが空いていたので伊勢うどん定食を注文。程なくして伊勢うどんとご飯が僕の眼前に。うどんがご飯のおかずになるのだろうか、などという疑問は実に些細なもの。むしろこれから歩き回ろうとする者にとって重要なのはエネルギー。

「中むら」の伊勢うどんの写真さて肝心の伊勢うどんがどんなものだったかを簡単にまとめると、黒くて柔らかい。汁は麺が隠れるほどなみなみと注がれているわけでもなく、甘め。今までのうどん感を覆す……とは言い過ぎだろうが、今まで食べたことのないうどんに出会えて楽しかった。しっかしあの黒い汁には驚いた。

店を発ち、宇治山田の駅でもらっておいた「伊勢神宮(外宮・内宮)コース」なるハイキングコースをゆるりと歩くことに。道すがら豊川稲荷神社や小田神社、世義寺、猿田彦神社などに立ち寄った。このあたりの家々はどこも注連縄を飾っているのが印象に残っている。注連縄玄関先に注連縄のない家の方が少なかっただろう。そして注連縄の形状は輪を描いたものではなく、一見反ったエビのような形状。思わず伊勢エビを連想してしまうのは僕だけでないと信じたい。そんなことを思いつつ歩き続ける。猿田彦神社まで来ると周りはすっかり観光地の体であり、多数の観光客であふれている。

そして内宮こと皇大神宮に到着。皇大神宮正宮の写真宇治橋は架け替え工事中だそうで、隣に架けられた仮橋を渡って神域へ。時間のせいもあるのだろうが、とても人が多かった。まさか三が日以外で参拝客が列をなすなんて。財布を見るとぎりぎり御祈祷を受けられそうだということで、前厄払いも済ませてきた。

近くにある宇治神社や津長神社を詣でた後、おはらい町通りへ。幸い通りには郵便局があり資金不足も何とかなった。さて休憩。まずは土産物として赤福を購入。郵便局を探し歩いながら見つけた、ぜんざいを抹茶とともにいただけるお店に行くつもりが……既に店じまい。仕方ないので露天で棒天ぷらなるものを購入。中の具材は色々あったけれども、ひとまずシンプルそうなチーズ味を注文。それをくわえながらシャッターを下ろしていないぜんざい屋さんに入店。後で気付いたのだけれど、どうやら赤福経営の店だったようだ。ちょっと惜しい。

甘味で元気を取り戻し、五十鈴川駅へ向かって歩く。もちろん途中月読宮へ立ち寄ることも忘れない。既に陽はすっかり落ちていた。たぶん明るいうちに詣でると、曲がりくねった参道から見える風景に何か感じるもなのかもしれない。が、気にしない。歩いたことに対する満足感が朧気に感じられただけで十分。

数分後に特急列車がでる……そんな事実を駅で知る。どうやら大阪方面らしい。急いで指定券と終点難波までの乗車券を購入して、いざゆかん大阪へ。当初は伊勢で一泊のつもりだったのだけれど、進めるのなら進んだ方が良いし。

近鉄特急の広い座席でPHSの低速回線を通じて宿探し。色々便利な時代です。まぁ結局僕だけでは探しきれなかったんだけど。宿も決まらずアナウンスがツルハしなる駅への到着を告げる頃、難波に行くならそのまま難波へ、大阪に行くなら鶴橋で降りろと教えられる。進むことは後からねできるので、急いで下車。

その後も大いに助けられつつ新大阪ユースホステルに寝床を確保。そのまま鶴橋で降り、串焼きの肉を食し新大阪へ向かう。ご飯ものが既に切れていたため、現地で更なる食料補給が必要だと感じながら。

新大阪のユースホステルは設備も整っていて快適。新大阪ユースホステルへ到着した際に撮影した写真外国人旅行者も多く、食堂で拾えるFreespotで情報収集している人も多かった。歩き疲れた足を風呂で揉みほぐし、就寝。

15日

ユースホステルで朝食をとり、同室した人と歓談の後出発。今日は装甲車さんと共に大阪散歩。梅田と日本橋。パソコンやらなにやらをコインロッカーに預けたおかげで肩の痛みからも解放された。

……気付けばpomeraの制限字数を超えそうだ。少々はしょりながら書くことにしよう。pomeraでものを書くことで文章が無駄に長くなるのを矯正するライフハックというのが成り立つかもしれない。閑話休題。

昼は弧月さん一押しの揚子江でラーメン。揚子江の五目ラーメンの写真。入り口前まで伸びる一風堂の行列を尻目に入店、五目ラーメンを食べた。あっさりした塩味のスープが昼に最適。また行きたい。

日本橋にちょっと昔というか、少し現実逃避感を減らしたような秋葉原を感じる。秋葉原の二次元領域(何)を三次元に拡張すればきっと日本橋になると思う。上新電機がおもちゃ屋をやっていることに驚くなどし、難波方面へ。アルコール摂取の前に炭水化物をということで味わいある店構えの自由軒に入店したところ、大変な賑わいだった。どうやら人気店のようだ。期待しつつ「名物カレー」を注文。自由軒の名物カレーの写真カレー味のご飯に生卵が乗っており、そこにウスターソースを垂らし、かき混ぜていただく。文字で読むとあまり美味しそうでないのが残念だ。これがとても美味しい。

そして梅田へ移動。伊勢シンさん弧月さん酢酸さん、でみっちさん、tmytさんという携帯電話再起動率の極めて高い面々と合流し、みんなでお好み焼き屋へ。で、自分、就寝。どんだけ酒弱いんだか。スマベン第2回あたりでリベンジしたいところです。

でみっちさんは帰られ、ほかの面々はバーへなだれ込み、歓談。家を出るときふと思いだして1本だけ突っ込んできたOperaのスタイラスペンをtmytさんにプレゼントしたら大変喜んでいただけた模様。あの笑顔は忘れない。ちなみにシールの自宅在庫は未だ潤沢(謎)。

日の変わる直前に発車するバスへ乗車するべく店を出て、大阪駅桜橋口のバスターミナルへ案内していただきました。何から何までお世話になりました。ありがとう。

16日

確保済みのJR夜行バスに乗車。2階建4列シートの格安グレード。後ろの1席をのぞいて満席だった。絶対寝られないだろうと思いつつPHSでチャット。が、すぐに気持ち悪くなってくる。どうしたものか悩んでいるうちに2階休憩するうちの1カ所目、養老S.A.に到着。

飲み物を買って喉を潤し、おにぎりを食べ、バスで体制を整え、バスが発車したとき……奇跡が起こった。まさかの爆睡。もう一度あったはずの休憩は全く記憶にない。PHSはチャットのために接続しっぱなしになっていたのであろう、電源が切れていた。電子音とバイブレーションが危機を伝えていたはずだがそれも記憶にない。……というか同乗した皆さんごめんなさい。今にして思えばサワー1杯で爆睡したのもその予兆だったのかもしれない。

無事新宿に到着。勢いだけの旅行、終了。この休み中にもう一カ所くらいはどこかへ行きたいところだけれどどうしようかねぇ。

この文書の諸情報

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http://kuruman.org/diary/2009/02/20/visit-ise-suddenly
公開日時
2009年2月20日 午前1時41分48秒
最終更新日時
2009年2月20日 午前1時52分32秒
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