情報過多

最近、情報収集量を増やしすぎて考える時間が制限されていた。僕の扱える情報量の閾値は決して高くない。それはこの一年か半年でよく分かった。

諸事情で今日から予定されていた長期旅行が一日順延になった。それによって生まれた一晩の時間、折角なのでこれを情報収集経路の整理に費やした。多少は考える時間が確保できるだろうか。

僕は記憶を思い出す効率が悪い。覚えてはいるのだけれど思い出せないことが多い。端的に言えば記憶力が悪いと云うことなのかもしれないけれど、なんとなくそれは違うのではないかと自分では思っている。(補註: 書いてて自分の不出来を認められないだけのような気がしてきた。)

なんとかして思い出すため、僕は本文をフィードで読まない。どんなに素敵なフィードリーダを使っても本文を読むときは常に原典を開く。わかりやすく具体的に言うと、LDRを読み始めると新しいタブが数百増える。ようするに、フィードリーダは情報の取捨選択にしか使ってない。

ある内容の書かれたページを思い出すとき、著者やサイト名などを連想する人が多いと思うが、僕の場合デザインが出てくることが多い。著者名が連想されることももちろんあるけれど、そのような場合は全く関係ない何らかの要素が著者に対してある。たとえばその人と会ってじっくり話したことがあるとか。

これをどうにか出来ればたぶんもう少し処理できるとは思う。非効率なのは間違いない。でも、そこまでの必要はたぶん無い。そして、今のところその必要性も感じていない。

何人かの話を聞くと、巧く情報収集経路にTumblrを混ぜ込むと効率化できそうな雰囲気はある。が、僕の欲しい情報をそこそこの純度で収集しているTumblrを知らない。これを見つけられれば情報収集負荷は相当軽減されるのだろうけど。もちろん同時に偏りも生まれるのだから、良いことづくめとは行かないが。

それらしい人のソーシャルブックマークのフィードをいくつか購読して凌いでいるけれど、十分ではないし、読みにくい。多くのTumblrが必要箇所を引用しているのに対して、ソーシャルブックマークに対するコメントは主観混じりに書かれているため、概要がつかみにくい。関連があるのか、読むべきなのか、判断しにくい。

情報収集もある程度整理しておかないと、仕事し始めた途端に破綻するのが目に見えている。まずい。

この文書の諸情報

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http://kuruman.org/diary/2008/09/01/too-much-information
公開日時
2008年9月1日 午前1時54分41秒
最終更新日時
2008年9月1日 午前2時07分28秒
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