現代SEO事情

SEO狂想曲に対して内容ではなく小手先のテクニックで集客を試みるサイトに所詮明るい未来なんてないさ、と思う僕は楽観視し過ぎでしょうかという反応があったのでもうちょっとだけまじめに考えてみる。そして多少は改善案を模索してみ……たけれど、あまり現実味のあるものにはならなかった。

有名サイトの余裕

SEOに踊らされているサイトを見回してみる。それらのサイトは自分に自信がもてないサイトなのではないか、と思えてくる。自分に自信のあるサイトはSEOに汚染されることなく存在している。該当する有名サイトを運営する企業の一部では、スポンサーとして広告を出稿しておけば良いという事にしていることもあるだろう。

広告を出せばSEOと同等の効果が得られるかと言えば、そんなことはない。多くのユーザは広告に見える枠囲みの部分などを無視する、というのは統計的に明らかな事実。これはSEO狂の人にとって見れば妥協以外の何者でもない。

しかし実際に広告を出すことで仕舞いにしている企業は存在する。例えばAppleの例を見てみよう。SEO狂の人は押さえねばならないキーワードとして以下のような語を挙げるだろう。

これらを実際に検索してみると以下のような結果が得られる。

SEO狂の人にしてみれば由々しき自体だ。iPodのスペルが分からない人が検索したときに困ってしまう、と騒ぎ立てることとなる。実際その影響を受ける人も居るだろう。

だが、Appleは動じない。

広告を出しているから良いんだ、と感じる人はそう感じていれば良い。それを説得する気は毛頭無いし、実際そうなのかもしれない。しかしサイトにノイズが載るほどSEOへの取り組みは行われていないという確かな事実がここにある。SEOに取り憑かれた人々はこれを認識すべきだ。

有名サイトの場合、ある程度の表記揺れを被リンクで吸収できるという部分はあるだろう。しかしそんな事を想定してサイトを作成しているとは到底思えない。

有名サイトはSEOにそれほど神経質になってまで取り組む必要性がないのではないか。そしてそのリソースを使いやすいサイトの作成へ回すことでユーザへの印象を良くしようと努力しているのではなかろうか。その努力が能動的なものか、または余裕から生まれた受動的なものかは分からない。しかし結果として有名サイトはよりよいWebを構成している

主従関係が駄目にする

特に企業サイトに於いて、いわゆるSEO対策が問題を引き起こしてしまう根本原因は、作成を依頼者と作成者の関係にあると考えられる。どこかのドラマの言葉を借りるならば、事件は現場で起きている、といったところだろうか。

主人たる者は何かを生み出すためにウェブサイトを作成させる。多くのウェブサイトは従属する者によって作成される。外注であろうが、内部にあるチームであろうが、何らかのものを生み出すために主人たる者はウェブサイトを作るように命令する。

多くの主人は技術的なこと知らない。実に健全なことだ。しかし昨今SEOという単語が広まるにつれてつまらぬ情報が巷にあふれるようになった。主人たる者は溢れる小手先のSEO対策手段に飛びつく。簡単に劇的とも言える効果を得ることができるのだから当然だ。meta要素を用いて検索エンジンのためのキーワードをいくつまで並べることができます、とか書いてあれば、試そうとする。そして主人は命令する。そこには命令されると逆らえないという現実がある。作成者は好ましくない方法であることを理解していることだろう。だが多くの場合、従属する者である作成者は主人に従うしかないのだ。

自信なきサイトの迷走

主人は自分より上位に存在するサイトへ対抗しなければならないという義務感に追われる。そしてその義務感を追い立てるのが次のような要因だ。

広告がだせない

先に述べたAppleなど大企業の場合、広告を出稿することで(実際そのような認識があるかは別として)精神的な安心感を得ることができる。しかし資金的に余裕のないサイトにそれはできない。

広告がない場合、全くリンクが現れなくなる。実際問題としてアクセス不能になる可能性はある。もちろん広告は見逃されるというのが常というのは前述の通りだ。広告を出すことでリンクは確実に現れるが、それを認識してくれるかどうかは別の問題なのだ。まぁそこにリンクがあるという安心感は計り知れないものなのだろう、きっと。

安心感を得られない、自信のないサイトはどうにかして順位を上げて見てもらおうと躍起になる。ならざるを得ない。見てもらわないと何も生み出せないのは確かなのだから。

また、大企業が広告のみにしか現れないことを逆手に取り、自分のところへ誘導しようとする。その方法はもちろんSEO対策以外の他ならない。

これは言うまでもない事実。検索によってWebの多くの情報を取得可能になったが、それら全てが簡単に入手されるわけではない。誘導しなくては人が来てくれないのだ。十分来ているとしても、そう考えてしまうのだ。

評価が単純明快

SEO対策は結果を以下の手段で評価することができる。

どちらの結果も簡単に且つ明確に得ることができる。結果をアピールしやすいSEOは実に便利だ。SEO狂が大量発生している要因の一端にはこういった単純な理由も存在していることだろう。

内容か集客か

SEO狂想曲での結論の根底には、集客を重要視するサイトが一定数存在し続けるだろう、という推測がある。その数は減りゆくと信じたいが、無くなることはないだろう。

自分なんかは内容が駄目だと認識してしまったサイトは見ないし、現にそういうサイトが幾つかある。自分の中では見切ったというか何というか。そういう風に考える人が増えればまた変わるのだろうけれど、実際にサイトに見切りを付けるような人が数値に現れるほど増加するとも考えにくい。

余裕を得るまでの道のり

SEO主義者の多くは、どんなに良い内容を用意したって人が来なくては意味がないではないか、と言う。逆に自分のようなユーザビリティ主義者の多くは内容が悪いサイトを用意しても訪問者が満足せずに帰ってしまう、と言う。しかしこれらは両立可能だ。実際に両立しているサイトがまさに余裕を持った大企業のサイトなのだ。

実際には優先順位を付けることになる。どちらか一方が達成されたとき、もう一方に取り組むこととなる。その段階へ達したときにどちらが固定的な閲覧者を獲得しているか考えてみれば良い。当然内容のあるサイトである。内容の無いサイトは潜在的な固定的閲覧者の一部を既に逃してしまっているだろう。

……と長期的に考えればとりあえず内容を優先するということの重要性は明らかだと思うのだけれども、たびたび世間知らずだと言われる。が、ここだけは譲りたくない。

Goodbye SEO

まともな文書を作成するだけで概ね十分なインデックスを作成してもらうことができる。

個人サイトであれば最初は待てばよいと思う。待つだけでは嫌だ、というならば自分から他のところへ絡みにゆけばよい。はてなを筆頭として様々なコミュニティが存在するのだから、選択肢はいくらでもある。トラックバックなんて便利機能も一般的になってきたし。

企業サイトであれば最初の広報をそもそも検索に頼っている時点で問題だろう。Webと関係ない繋がりで聞いた事を想定したとき、検索して自分のサイトがヒットしないのが問題だ、と言うかもしれない。しかし、自分のところが最初に上がる必要はないじゃない。紹介してくれたブログでも何ら問題ない。本当に興味深いものを提供できているのであれば、リンクをクリックして、探してくれる。それを期待できないようなものを提供しているというのなら、そもそも広報すべき段階にない。(裏返せば自信が無い場合はSEOへ頼るしかなくなる、という事になる。)

ある程度軌道に乗ったらユーザ中心に考えるべきだと思う。先に述べたとおり、長期的に考えればそうすべきだろう。SEO対策なんてつまらないものに労力を費やすくらいならくらいだったら口コミが増えるように他の努力をすべきだろう。口コミをブログに書く人が増えつつあるご時世、口コミを増やすことは結果としてリンクを作る。そしてそれは大好きなSEO対策へとつながる。

大規模になり、有名になったらSEOも何も考える必要が無くなる。余裕を感じて悠々としていればいい。

結局SEOなんて要らないんだよ、本当は。……そんなのは理想にすぎない?そうですか、そうですか。そういう人は苦しみながら勝手に舞ってればいいのではないでしょうか。

人の流れ

繰り返しになるがSEO対策という徒労を費やすサイトは無くならないと思う。無くならないのであれば、多くの人が検索に依存しなくなったら良いのかもしれない。一部の物好きが広い範囲を網羅している検索エンジンを巧みに使い、有用な情報をSBSのようなページに集積する。そして多くの人はそれを利用する。検索エンジンを使う物好きの程度にも因るだろうけれど、検索結果の上位ほんの一部しか見られないという現実さえ変われば可能性はあるかもしれない。

SBSのおかげでtitle要素の中身は非常に使いやすくなった。主に自分の記事を読ませるために、キャッチーなタイトルを付けようと苦心する人が増えたのだろう。

もしかするとSocial Bookmark Serviceの名の通り、SBSが社会的地位を確立すれば良いのかもしれない。

この文書の諸情報

この文書の永続的URI
http://kuruman.org/diary/2007/03/07/common-seo
公開日時
2007年3月7日 午前1時20分23秒
最終更新日時
2007年3月7日 午前4時07分02秒
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