説得に費やす時間

自分にとって重要なことでない限り、説得に時間を費やすのは苦手。ほとんどの場合労力の割に合わないなと感じ、面倒になり、もういいやと諦めてしまう。……これを苦手というのは逃げか。

どういう時でもきちんと諦めず理詰めに説得する人は尊敬の対象だ。自分の場合もある程度は説得を試みる。けれど、ある時を境に馬鹿馬鹿しく思えてしまう。それが相手の主張より好ましいと断言できる内容であろうとも、資料があることが明らかであろうとも。

結果として生まれるものがどれだけ格好悪いものか知っていようとも、もう知らん。そう思ってしまう。未熟なんだといえば聞こえは良いかもしれないけれど、これは単なる怠惰だよな。どうにかせんと。

なんか最近やたら疲れる。誰か、僕に気分転換になる娯楽ツールを教えてください。

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公開日時
2007年3月6日 午前0時28分23秒
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